第一章 出会い

 

第一話 冷徹な傭兵

 

 

 

 大陸アレスティアは四つの帝国とそのいずれにも属さないいくつもの小国から成っていた。火の国ボルケニ、風の国シルフィ、地の国ドルアード、水の国ウィンデル。四つの国はそれぞれ精霊の加護を受けて繁栄し、長きに渡って世界の安寧を保ってきた。

 ところが突如その安寧は破られることになる。ほとんど言い掛かりに近いような些細なことを理由に、ドルアード帝国が周辺の小国に対して侵略を開始したのだ。

 これを皮切りにして、世界平和を守るためという建前の元、ボルケニ帝国とウィンデル帝国も侵略戦争に加担し始め、今や世界は混沌の渦に呑み込まれようとしている。

 

 

 

 

 

 ウィンデル帝国の雇われ傭兵であるリュカは一人、片足を引き摺りながら無理やり歩みを進めていた。戦場からほんの少し離れただけのこの場所だが、先ほどまでの喧騒が嘘のように長閑で穏やかだ。小鳥が囀り可憐な花が咲き乱れている。柔らかな緑のキャンバスに不相応な赤を散らしながら、リュカは苦痛に顔を歪めた。

 毒矢でも食らったのだろうか。傷はそこまで深くないはずなのに、冷や汗が止まらない。

 水場を探して傷の手当てを終えたらすぐに戻るつもりだったのだが、水場に辿り着く以前に身体がどんどん重くなっていく。

 

「こんなところで……くたばるわけには……」

 

 気付けば立っている気力すら失せてどさりと花畑に倒れ込んでいた。花の良い香りが鼻を掠め、耐え難い眠気がリュカを襲う。ダメだ。ここで目を閉じたが最期、きっと二度と起き上がれない。必死に抗おうとするも、もはや痛みすら分からないほど意識が混濁していた。

 

「許せ……不甲斐ない兄を……」

 

 せめてもの抵抗として遺言を呟いたその時。

 ガサッ。

 近くの茂みで物音がした。

 そのまま物音はこちらに向かってどんどん近づいてくる。敵兵だろうか。どうせもうじき死ぬのだ、放っておいてくれれば良いものを。それとも手柄欲しさに首でも取りに来たのだろうか。何にせよこの身体ではもう何もできまいと、リュカは天に身を任せた。

 

「ヒール」

 

 ところが予想に反して、リュカの身体はふわりと柔らかな光に包まれ――。

 瀕死の状態だったのが嘘のようにみるみる傷が塞がっていく。驚いて身体を起こすと、シスターと思わしき見知らぬ少女が静かに微笑んでいた。

 

「危ないところでしたね。もう動いても大丈夫ですよ」

 

 リュカの所属する傭兵隊にシスターがいた覚えはない。とすればこの少女はまさか敵兵の?いやそんなはずはない、そうであれば敵である自分を治療するのは理解に苦しむ――怪訝な眼差しのまま固まるリュカに、少女はこてんと首を傾げた。

 

「ヨーデリアの援軍に来てくださった方ですよね?ずいぶん酷いお怪我だったので間に合ってよかったです」

 

 援軍?何を言っているんだ。

 しかもヨーデリアというのはまさしく敵国の名――そこまで考えて、ああ、とリュカは腑に落ちた。

 この少女、敵である自分を味方だと勘違いしているらしい。何と哀れで愚かなのだろう。さてどう利用してくれようかと腹の底で黒く笑いながら、リュカは人の良い青年を演じることにした。

 

「おかげで助かった。感謝する。ヨーデリア軍と合流しようとして敵襲に遭ってな……ここまで逃げてきたと思ったら今度はヨーデリア軍を見失ってしまったんだ。王子達が今どの辺りにいるか分かるか?」

 

 平然と嘘を吐きながら、リュカは敵国ヨーデリアの王子シアンに思いを巡らせていた。

 小国のヨーデリアはこの乱世の混乱の最中に国王を失い、残された王子は弱冠十六歳にして国を守るため自らが総大将となり軍を率いているのだという。その勇姿は民衆や周辺諸国の人々の心を打ち、彼に協力する者が後を絶たなかった。

 実はリュカも短い間ではあったが王子の元で傭兵として働いていたことがある。直接関わる機会はほとんどなかったが、それでも王子の為人を知るには十分だった。王子は誠に他人を思いやり、愛を持って接し、貴賤関係なく誰にでも手を差し伸べようとする――リュカがこれまで見てきた中でどんな人間にも敵わないほど、今頃の王族には珍しく素晴らしい聖人だった。

 もしその王子を討てれば間違いなくとんでもない額の報奨金が出るだろう。今リュカを雇っているウィンデル帝国が何を企んでいるのかは分からないが、とにかくヨーデリアを潰せれば金に糸目はつけない方針らしく、ただの傭兵である自分にですら提示してきた額は相当なものだった。それならば金のない小国ヨーデリアよりもこちらにつく他ない。良心が痛まないと言えば嘘になるが、そこを割り切って金の為に動くのが傭兵というものだ。リュカは金の為なら何でもすると、とっくの昔に覚悟を決めていた。罪悪感さえ封じ込め命の危険に晒されてまで、どうしても金が必要な理由がリュカにはあるのだ。

 

「ごめんなさい、その……実は私もヨーデリアの方々とはぐれてしまって。ああ、でも。ここがどこなのかは分かりませんが、シアン様の居場所ならだいたい検討がつきます」

「何、本当か?教えてくれ」

 

 はやる気持ちを抑え、リュカは少女の答えを待った。

 

「西の砦へ向かうと仰っていました。なんでもかつて共に戦ったという仲間がウィンデル帝国側にいるからだとか。お優しいシアン様のことですから、なんとか説得できないかとお考えなのでしょう」

 

 驚いた。まさか自分のことを探しているとは。

 

「……そうか。あの王子らしいな」

 

 本当にあの王子はお人好しが過ぎる。当然説得に応じる気などさらさらないが、小国ヨーデリアが大国相手に引けを取らない戦いをしている理由が分かった気がした。

 

「ここから砦まではそう遠くないはずだ。王子と合流すべきかと思っていたが、その元仲間とやらがどこに潜んでいるか分からない以上、下手に砦に近寄って場をかき乱さない方が良いかもしれん。他の味方の居場所は分かるか?どの部隊と合流するか考えたいんだ」

 

 それっぽく考えているふりをしてヨーデリア側の動きを探る魂胆だ。敵の居場所さえ分かってしまえば動きやすさは格段に上がるだろう。もちろんヨーデリア軍と合流する気などなく、敵との接触を最小限に抑えた上で西の砦へ向かい、自分を探しているであろうシアン王子を討つ――およそそんな筋書きだった。

 

「ああ、そういうことでしたら。……少しお待ちください」

 

 愚かにも少女は何の疑いも向けることなく、敵の情報を次々と紙に書き出してはリュカに手渡した。これだけあれば戦略を立てるに十分だ。リュカは目を細めて乾いた笑みを浮かべた。

 

「それだけ分かれば大丈夫だ。世話になったな。では俺はそろそろ行くとしよう」

「えっ、あっ、あの……ちょっと待ってください!」

 

 立ち去ろうとするも、少女が慌てた様子で行く手を遮った。

 

「……どうした」

 

 嫌な予感がしつつも無碍にするわけにもいかず、渋々声をかけてみる。

 

「私は戦う術こそありませんが、治癒魔法なら心得ています。どうか連れて行っていただけませんか」

「いや、それは」

 

 このままついてこられては都合が悪い。どう振り切ったものか。相手はほぼ丸腰のシスターなのだから、いっそのこと斬りかかってしまうか――いや、流石になしだ。少女一人斬ったところで金になるわけでもあるまいし、ましてや少女は仮にも命の恩人なのだ。いくらリュカでも良心が咎めた。

 

「お願いします……他の部隊と合流するまでの間で良いんです。このまま一人でふらふらしていたら、味方を見つける前に敵に見つかってしまいそうな気がして……」

 

 もう既に敵の眼前だが、と言いたいのを堪えてリュカは頭を抱えた。この状況で無防備な少女を置いていくのは、少女目線だと明らかに不自然だろう。どう言い訳すべきかと言葉を詰まらせたその時――。

 ガサッ。ガサガサ。

 少女の背後の茂みから物音がした。

 

「誰だ」

 

 咄嗟に剣を引き抜き戦闘態勢をとる。傷が癒えたおかげで剣先に迷いはない。

 ところが少女は怖がる素振りも見せず、茂みからのっそりと出てきた人物を見て歓喜の声をあげた。

 

「バルチェロさま!」

「こんなところにいたのですね。探しましたよ、ルナ」

「良かった……道に迷ってしまって、バルチェロさまともうお会いできないかと思いました。あっ、こちらは援軍に来てくださった方で――」

 

 着古したローブに縦長の帽子、現れたのは初老の聖職者バルチェロだった。ああ、これはまずいぞ――リュカはその姿を見るなり舌打ちした。バルチェロもまたシアン王子に仕えていたことがあり、リュカとは面識があるのだ。つまり、それが何を意味するかと言えば。

 

「ルナ、その男から離れなさい!」

「えっ?それは、どういう……っ!?」

 

 だから嫌だったのだ。面倒なことになるから。

 リュカは少女の腕を掴み強引に引き寄せると手で口元を塞いだ。

 

「ん……んぐ……!」

「悪いな。恨むなら己の運の悪さを恨むといい」

 

 殺しはしないが、こうなってしまったからには利用させてもらう。

 少女はしばらく苦しそうにもがいていたが、男の力に敵うはずもなくやがて静かになった。

 

「黙って立ち去っていれば見逃してやったものを……愚かな娘だ」

 

 眠る少女の首に剣を突き立てながらバルチェロに向かって言い放つ。もちろん本当に刺すつもりはなく、これはただの牽制だ。

 

「バルチェロよ。かつてはあなたと共にヨーデリアに仕えていたこともあったが、今は違う。シアン王子に伝えてくれ。この娘の命が惜しくば一人で西の砦へ来いと」

「くっ、何と卑怯な!」

「何とでも言え。俺は金のためならどんな仕事でもする。そういう人間だ」

 

 守銭奴だとか人手なしだとか、そういう言葉はこの世界に入ってからもう聞き飽きた。今更何を言われたところでリュカの心は揺らがない。

 踵を返し去っていくバルチェロを見届けながら、リュカの瞳は底無しに暗く凍りついていた。