第三話 運命の始まり

 

 

 

 ヨーデリア軍によってリュカの属していた傭兵隊は壊滅した。その知らせはウィンデル帝国へも届けられたが梨の礫だ。沈黙が答えなのだろう、どうやらウィンデル帝国はヨーデリアを含む周辺諸国への侵略をやめるつもりはないらしい。まるでトカゲの尻尾切りだなとリュカは自嘲した。

 

「リュカ。君が来るのを待っていたよ」

 

 連れて行かれた先はシアン王子の眼前だった。周囲には武装した家臣が複数人。あの影武者だった男も含めて皆緊迫した面持ちで王子の側に控えている。リュカはこれから裁きを受けるのだ。

 

「無事で良かった。君とまたこうして話ができて、僕は本当に嬉しいんだ」

 

 偽りのない王子の笑顔があまりにも眩しくて、リュカは思わず目を伏せた。普通ならここで殺されていてもおかしくないというのに、この王子はそれをしない。それどころか一度喋ったことがあるかないか程度にしか関わりのなかったリュカのことをしっかりと覚えていて、仲間だと認識しているような素振りまで見せる。これを計算ではなく素でやっているのだから、王子の人間性には感服するばかりだ。

 

「最初に言っておこう。僕は君を処刑するつもりはない。短い間だったかもしれないけれど、ヨーデリアで共に過ごした大切な仲間だから」

 

 重苦しかった空気が和らいでいく。王子の意思は自分の意思だと言わんばかりに、周りの家臣たちの表情も心なしか柔らかくなった気がする。

 

「王子……そう言ってくれるのはありがたいが、俺はもはや大罪人だ。何のお咎めもなしでは王子の面目が立たないだろう」

「いや。一つ君に頼みたいことがあるんだ。リュカ、これが僕が君に課す罰だよ。……ルナ、こちらに来てくれるかい?」

「はい、シアン様」

 

 呼びかけに答える形で現れたのは、あの少女ルナだった。ルナはリュカと目が合うとふわりと優しく微笑んだ。状況が理解できず困惑するリュカに王子はこう告げた。

 

「ルナを風の国シルフィまで安全に送り届けてほしいんだ。リュカ、君の剣術の腕前は相当なものだと聞いたよ。傭兵としての歴も長い。それなら安心して護衛を任せられると思ってね」

 

 風の国シルフィ。小国を巡って各国が戦争を繰り広げる中、唯一中立を貫いている帝国だ。戦う術を持たないシスターのルナにとっては、確かにここにいるよりもいくらかマシだろう。しかしリュカにはいまいち腑に落ちないところがあった。

 

「は……?俺はそれで構わないが、良いのか?牢獄に閉じ込めた張本人だというのに」

 

 痛めつけさえしなかったものの、恩を仇で返すようなことをしたのは事実だ。そんな相手と行動を共にするのは苦痛ではなかろうか。

 

「私がシアン様にお願いしたのです。護衛に誰かを付けるのならあなたが良いと」

 

 本人がそう言うのであればそれまでだが、なぜ自分なのか。首を傾げるリュカにルナは続けた。

 

「シルフィは中立国とはいえ、辿り着くためには戦地だけでなく様々な危険地帯を通り抜けなければなりません。そこで護衛をお願いするにも、ヨーデリア軍の皆さんには自国を守る使命がありますし、他に伝手があるわけでもなく……」

「なるほどな。俺は特定の国や地域のために留まって戦っているわけではないから、どこへでも好きに行けるのは確かだ」

「はい。ですがそれだけではありません。捕虜として捕まったからには酷い目に遭うことも覚悟していたのですが、あなたは一切そんなことをしませんでした。上手く言語化するのが難しいのですが……信頼できる人だと思ったのです。リュカ、あなたのことを」

「信頼、か」

 

 ルナの言葉に嘘はない。獄中でも見せた真剣な眼差しが真っ直ぐにリュカの心を溶かしていく。

 金さえあれば事足りる世界に長らく身を置いていたリュカにとって、信頼というのは初めて知る温かさだ。人を出し抜き、疑い、騙し合う、そんな光景とは対極の未来を夢見た頃は、リュカにもあったはずだ。

 今目の前にあるのは一筋の光だ。それなら自分はどうすべきか。答えは一つだ。

 

「分かった。俺はここで死んだも同然の身だ。生まれ変わった気持ちで、どこへなりとも共に行こう」

「はい……!」

 

 友好の証にと手を差し出すとルナはそっと握り返した。この細く柔らかな手が血で染まらぬように、守り抜いてみせるとリュカは心に誓った。

 

「話がまとまったみたいだね。君なら頷いてくれると思っていたんだ。直接助けてあげることはできないけれど、僕たちは仲間だ。ここヨーデリアの地で旅の無事を祈っているよ」

「寛大な処遇に感謝する。この役目、引き受けたからには必ず完遂する」

「うん。頼んだよ」

 

 今はまだ、誰も知らない。

 この出会いがリュカの、そして世界の運命をも、大きく変えることになろうとは――。

 

 

 

 

 

 ヨーデリアを発つまでは少し時間があった。ルナは身辺整理と挨拶回りをしているらしく、リュカは一人暇を持て余していた。

 ヨーデリアには束の間の平和が戻ったものの、ウィンデル帝国も侵略を諦めたわけではなく、いつかまた起こるであろう有事に備えてヨーデリア軍の者は各々訓練に勤しんでいるようだった。

 

「待て」

 

 そんな中呼び止められて振り返れば、そこにいたのは砦で剣を交えたあの男だった。

 

「お前は確か、王子の側近……ジークといったか。どうした。俺に何か言付けでも?」

「たいした用ではない。貴様に言っておきたいことがある」

 

 あのときの殺意はもう感じられないが、おそらくリュカのことをあまり良くは思っていないのだろう、随分とぶっきらぼうだ。

 

「もうじき俺はここを発つ。恨み言でもなんでもぶつけてくれて構わん」

「では遠慮なく。俺は今回の件、まだ許したわけではない。シアン様とルナの優しさに免じて目を瞑っているだけだ」

 

 そこまで言ってから、ジークは観念したように深いため息を吐いた。

 

「しかし断罪の場に同席して、間違っているのは俺の方かもしれぬとさえ思えた。人を欺き金のために生きてきた貴様に、命を預けても構わないと信頼を寄せる者がいるのだ。それならもう、俺は何も言えまい。向けられた信頼を決して裏切るな。心には心で応えろ。それが貴様が許される唯一の道だ」

 

 この男、リュカが数年前にヨーデリアに仕えていた頃にはいなかった人物だ。しかし王子への信頼と忠誠心は相当なものに見える。たった数年でそこまで深い関係を築きのし上がってこれたのも、王子やヨーデリアの民の、人を信じ助け合う、慈愛の精神があったからこそなのだろう。

 

「貴様のことは気に食わないが、俺の私情を挟んでも仕方あるまい。リュカよ。託された使命を立派に果たせ。必要とあらばそのときはヨーデリアの民として力を貸してやる」

 

 気に食わないと言っておきながらも、なんだかんだで気にかけてくれているのはジークの優しさだろう。

 

「分かった。ジーク、お前も達者でな。生きてヨーデリアをその手で守り抜け」

「ああ。言われなくともそのつもりさ」

 

 短い会話を最後に、二人はそれぞれ真逆の方向へと歩きだした。

 信頼。この数日で幾度となく聞いた言葉の意味を理解し、さらにそれ以上の絆を結ぶことになろうとは、今のリュカには夢にも思わぬことだった。