第二話 魔石のカケラ
ぶにょん!
襲いかかってきたのはゲル状の謎の生物だった。剣でそれを斬りつけたときの感触は今まで感じたことのないほど奇妙なもので、衝撃を吸収するのかいまいち斬れ味が良くない。確かに一刀両断したはずなのに、二つに分かれてもなお、うにょうにょと意思を持って動き回っている。――この謎の生物、スライムと呼ぶのが相応しいか。
「ルナ、お前は下がっていろ。なんとかする」
「は、はい!」
ルナは慌ててリュカの後ろに回った。スライムの狙いはおそらく食料だから、リュカが盾になっている限りはルナに攻撃の手が行くことはない。
スライムの体は半透明で、中身が太陽の光に透けて見えた。生物にしては内臓も見当たらないが、よく見るとガチガチのパンが複数個、ふよふよと体の中心で浮いている。妙な生物だ。リュカが知らなかっただけで、田舎ではこんな訳の分からない生物が闊歩しているのが普通なのだろうか。
真偽の程はさておき、パン泥棒を成敗すべくリュカはもう一度剣を振るった。
もにょにょん!
「チッ、なんなんだコイツは!」
まるで攻撃が効いていないらしく、スライムはこちらを挑発するかのように元気良く跳ね回っている。時折思い出したかのように体を弾ませてはリュカに襲いかかったが、知能はあまり高くないのか大した脅威ではない。斬れずともヒョイヒョイと剣で弾き返しながら、リュカは心の中で二度目の舌打ちをした。
しぶとい奴め。
どうしたものかと考えあぐねていると、二つに分かれた体のうちの一つ、スライムの体内で何かがチラリと輝いた。小石だ。弾力ある肉がこの小石を守るように包み込んでおり、どぷりと小さく脈打っている。その様子を見て、もしや、とリュカは閃いた。そして一か八か、その小石に狙いを定めて一気に斬りかかった。
ばしゅううん!
後ろでルナがあっと声を出したのが聞こえた。リュカの予想通り、この小石がスライムの心臓部であり弱点そのものだったらしい。あれだけ苦戦したのが嘘のように、核を砕かれたスライムは動きを失くし、その場にでろりと力なく崩れた。
なんとか脅威を退けたことに安堵し溜息を吐いたところで、スライムの残骸から露出している小石に目が留まる。売れば少しは金になるだろうか。詳しく調べるため触れようとすると、どういうわけかルナが血相を変えて制止に入った。
「ま、待ってください!触っちゃダメ……!」
ルナのあまりの焦りっぷりに何事かと驚いて固まっていると、代わりにルナが小石を拾い上げ、「やっぱり……」と落胆の声を漏らした。
「これは魔石といって、触れた者を呪い魔物に変えてしまう危険なものなのです。こんなところにまで……」
ルナの瞳が不安げに揺れ動いている。一方リュカは初めて聞く単語に思考が追いつかずにいた。魔石?魔物に変える?一体どういうことだ。
「何なんだそれは。もう少し詳しく説明してくれないか?」
リュカが問うと、ルナは隠し立てをする様子もなく快く話してくれた。
「魔石がヨーデリア国内で最初に見つかったのは、突然現れて問題になっていた家畜荒らしの死骸の中からでした。これ以降妙な生物――魔物が時折現れるようになり、そして例外なくこの魔石も見つかったのです」
傭兵として各地を転々としてきたリュカでさえ聞いたことがない。俄かに信じがたい話ではあるが、ルナが嘘をついているようにも見えないので、黙って続きを聞くことにする。
「ヨーデリア軍による解析の結果、このカケラは数百年前にシルフィ帝国に封印されたはずの、邪悪な力を宿した魔石そのものであることが分かりました。何らかの原因で砕けた魔石が世界中に散り、こうして生物を魔物に変えているようなのです」
先ほど倒したスライムも魔石によって生み出された魔物だったというわけか。さらにルナは続けた。
「ちょうど帝国が侵略戦争を始めた頃合いと、魔石が見つかり始めた時期は一致しています。この世界で何か良くないことが起こっているのではないかと危惧するシアン様に、私がシルフィまで出向いて大元の魔石の封印状態を確認することを申し出たのです」
「つかぬ事を聞くが、それがこの旅の目的か?」
「はい。お伝えしていませんでしたね。私がシルフィへ向かうのは、ヨーデリアの、ひいては世界の平和のためだと勝手に私は思っています」
てっきり安全な場所へ疎開するためとばかり思っていたが違ったらしい。予想外に壮大な動機に驚くと同時に、リュカの中である疑問が湧いた。
「なぜ危険を冒してまでルナがやるんだ。ヨーデリア軍の者に任せておけば良かったのではないか?」
明らかに自分より年下の、戦い方も知らぬような純朴な娘が、そんな大層な使命を背負って旅をするというのは荷が重すぎるのではないか。
「それではダメなのです。えっと……ある程度魔力制御ができる者でなければ、触れた瞬間に取り込まれてしまう危険性がありますから。ヨーデリアには魔法を扱える方が少ないので、私が適任だという判断です」
なるほど、ルナが魔石に触れても平気なのは魔法の道に明るいからなのか。リュカもその辺りに関しては疎いから、ルナの言う通り迂闊に触れると危険なのかもしれない。
それは良いとしても、魔法を扱える適任者なら少なくとももう一人思い当たる。
「しかし魔法ならバルチェロも得意だろう。奴では問題があるのか?」
初めてルナと会ったとき、ルナと行動を共にしていた聖職者の男だ。リュカの記憶では彼もまた治癒魔法に長けている。なんなら年季が入っている分ルナよりも得意なのでは。
ところがルナは伏し目がちに小さく微笑んだ。
「バルチェロさまには孤児院を守る役目があります。私は数年前にふらっと孤児院に現れて少しの間手伝っていただけだから、いなくなっても困りませんが……バルチェロさまは違います。孤児院に残された子どもたちはきっと寂しがるでしょう」
そう言って寂しそうに微笑むルナを見て、リュカは何と言葉をかけて良いのか分からなかった。
ルナにだってヨーデリアに残る権利はあったはずだ。リュカと違ってあの国に愛着があるのなら尚更。他の人間たちは使命だなんだと言って、断れる理由のないただの少女に厄介事を押し付けているだけではないのか。
「私なら大丈夫ですよ。今は一人じゃないですから。そんな顔をしないでください」
指摘されて初めて眉間に皺が寄っていたことに気付く。ルナはリュカが思うよりもずっと逞しく、芯の強い少女なのかもしれない。リュカは軽く咳払いをすると、行くぞ、と言って足を踏み出した。ルナの目的を達成するためにもあまり油を売っている暇はない。真っ直ぐにこちらを見つめてくれる緑色の瞳を曇らせたくはないのだ。