第三話 スライムの巣窟
「これはまた……派手なお出迎えだな……」
目を疑うような光景にリュカは失笑し思わず天を仰いだ。
村に辿り着いたリュカたちが目にしたのは、大量のスライムだった。
先ほどリュカたちが遭遇した一匹はここから逸れた氷山の一角だったのだろう。まるで蜜に群がる虫のごとく、あまりにも数が多すぎる。リュカは剣に手を伸ばした。
「きゃあ!」
「ルナ!」
いつの間に忍び寄ったのか、ルナに体当たりしようとしていたスライムに狙いを定めるとリュカは華麗に斬り捨てた。要領さえ掴めてしまえばもはやリュカの敵ではない。飛沫がルナにかからないようマントを広げると、飛び散ったでろでろの液体がねちょりと張り付いた。
「ありがとうございます。助かりました」
ぺこりと頭を下げたルナ。礼には及ばん、と言いつつマントを手で振り払い汚れを落としていくと、スライムの肉片がぺとりと地面に落ちた。しかし肉片の中に例の物は見当たらない。
「こいつは魔石を持っていないのか?どういう仕組みなんだ」
もう一度よく目を凝らしてみても、やはりキラリと光る小石は見つからなかった。
「憶測ですが、別のところに本体がいるとか……でしょうか?」
リュカは初めてスライムと対峙したときのことを思い出していた。確かにあれは分裂していた。厄介だ。ルナの仮説が本当だとすれば、本体を倒さない限り魔石は回収できない上に、見ての通り村を埋め尽くすほどの勢いで増え続けるということになる。
「その通り、親玉がいるだ。みんな怖くて手が出せないんだ。まったく困ったもんだべ」
突然声をかけてきたのは村人らしき男だった。農作業でもしていたのか手にはクワを持ち首にはタオルを巻いている。逃げ惑う村人もいる中、特に気にする様子もなさそうなこの男、なかなか肝が据わっている。
「おらはヨザック。安全な所まで案内するだよ。ついといで」
ヨザックと名乗った男は田舎訛りのキツい口調で朗らかに喋ると、そのまま村の奥に見える一回り大きな建物を指差した。ヨザック曰く、あれは村の集会所なのだという。
「かたじけない。よろしく頼む」
宿を探すにもまずは身の安全を確保してからだ。ヨザックに案内されるがままについて行くと、集会所をぐるりと取り囲むようにして雑草の束がいくつも積まれていた。しかしこれ、ただの雑草ではないらしい。ふわりと漂う香りはまるで高級な花から丁寧に抽出された香水のように上品で、通りすがりのリュカをも思わず恍惚とさせるほど甘美なものだった。
「どういうわけだか、奴らはこの匂いが苦手なんだわ。こんなに良い匂いなのになあ」
すんすんと鼻を鳴らすヨザックに倣ってリュカも空気を吸い込んでみれば、たちまち目が覚めるような清涼感に包まれた。なんとも形容し難い心地良い香りだ。香水の類にはあまり興味がないリュカでさえ世の中に香水が存在する意義について分かった気がするくらいだから、ルナもさぞかし喜んでいるだろうと顔を覗き込んでみれば、予想外に妙な表情で黙り込んでいる。
「……くしゅん!」
そして唐突にルナは大きなくしゃみをした。驚いてルナを見ると、気まずそうに顔を赤らめている。
「大丈夫か?冷えるなら上着を貸そう」
日が傾いているからか少し肌寒い。風邪を引いてもおかしくはないからと声をかけるも、ルナは困ったようにはにかみながら首を横に振るだけだった。
「きっと誰かが私の噂でもしてるんでしょう。風邪を引いたわけじゃないので大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「そうか。ならいいんだが」
大丈夫、とは言ったもののルナは時折小さく顔をしかめている。もしかするとルナはこの香りが苦手なのかもしれない、とリュカは思ったが、それをわざわざ聞くのも野暮だからそっとしておくことにした。
「この草はもともと虫除けに使われてて、奴らにもひよっとしたら効くんでねえか?って誰かが言い出してな、実際やってみたらどんぴしゃりだったっつーわけよ」
人間に対しては無毒でも動物には有毒なものは世の中いくらでもある。この草もその一つなのだろう。
「村の叡智か。ならばこの周辺に限定せずとも、村全域に撒けば良いのでは?」
もちろん本気で提案しているわけではない。こんな素人でも思いつきそうな解決策をあえて実施していないということは、大抵の場合何か理由があるのだ。案の定、ヨザックは額に手を当てて唸った。
「それができれば苦労しねんだ。育てんのが難しい草でな、自然に生えてくるのを待つしかねえから、ぽちっとしか用意できねんだ。ここらにあるのでほぼ全部さ」
そうこうしているうちに集会所の入口に着いたので、ヨザックは扉を開けてリュカたちにも入るよう促した。
招かれて中へと足を踏み入れれば、先客である他の村人たちの視線が一斉に集まった。女子供も多い。皆不安そうに落ち着かない様子で、外から来たリュカたちに一縷の望みをかけているようにすら見える。
「あの……この方々は……?」
そわそわと様子を窺っている群衆の中から、意を決したように一人の老婆が躍り出た。
「旅人さんだよ。外は危ねえから連れてきただ」
「おやまあ……こんなときにツイてないねえ。見ての通り小さな村だから、本当はお客様が来るってだけでもありがたいもんなんだけど……」
老婆は溜息を吐いた。
「今はもてなす余裕もなくてすまないね。用が済んだらさっさと立ち去るのが身のためだよ」
そう言い残すと老婆は肩を落として奥の部屋に籠ってしまった。
「悪く思わねえでくれな。ここの人らはもうずいぶんと篭りきりで、ろくにお天道さまも見られてねえもんだから……鬱憤がたまってるだよ」
ヨザックにぽん、と肩を叩かれた。言われなくても村人たちに悪気がないことは分かっているので、リュカは黙って同情の眼差しを向けた。
「ま、せっかく来たんだ。茶くらいならだせるから飲んでけ」
そう言うとヨザックは鬱屈した雰囲気を晴らすかのごとく明るい声でガハハと笑ってのけた。なんとも逞しい精神力だ。
皆で茶を飲みながらリュカたちは話をした。村人たち曰く、スライムは半月前に突然現れて村の食料を食い荒らしているそうだ。そして倒しても倒しても一向に数が減らないという。イタチごっこの戦いが続くようでは疲弊するのも無理はない。
隣に座っているルナが、リュカの服の袖をちょいちょいと引っ張って耳打ちしてきた。
「かわいそうに……。なんとかできないでしょうか?」
村人たちの話をうんうんと深く頷きながら聞いているルナの様子を見るに、なんとなく嫌な予感はしていたもののまさか本当に的中するとは。老婆の提言通りに一晩休んだら早々に出発するのが良いかと考えていたリュカにとって、ルナの言葉は寝耳に水だった。
リュカの仕事はあくまでルナの護衛であって、この村がどうなろうと知ったことではない。無給で働いてやるほど自分は安くないしお人好しでもない。リュカはそういうところは割り切っている自負があった。そしてなにより、この村の問題に首を突っ込んだがゆえに、ルナに危険が及ぶことだけは避けなければならない。
「気持ちは分かるが……」
否定しかけて、リュカは息を呑んだ。ルナは胸の前で杖をキュッと握りしめ、真っ直ぐリュカを見据えている。ルナも自身の信念に従ってこの村を救いたいと真剣に思っているには違いなかった。そんなルナを正面切って全否定する気にもなれず、どう言葉を続けようかと悩んでいると、何を思ったかヨザックが突然立ち上がって皆にこう呼びかけた。
「みんな!この人たちが魔物を退治してくれるって!ありがてえありがてえ!」
一瞬の静寂の後、集会所にはどよめきが広がった。
「えっ?」
「は?」
あまりの展開の読めなさにリュカたちは二人揃って素っ頓狂な声を出すと、互いに顔を見合わせた。この人たち、と言って指差されているのは紛れもなく自分たちである。何をどう曲解すればそんな話になるのか、早とちりも良いところだ。
「待て。俺は一言もそんなこと――」
「おら見ただよ。バシッと一発であのぶにぶに生物を仕留めるところをな!あれだけの腕っぷしがありゃ、本当に親玉も倒しちまうかもしれねえぞ!」
リュカに口を挟ませるつもりなど毛頭ないらしく、ヨザックは意気揚々と捲し立てて村人たちを煽った。リュカは何を考えているんだと非難の視線をヨザックに向けたものの、ヨザックは「まあまあ」と適当にかわすだけで後に引く気はさらさらないようだった。
「なんだって!そりゃあすげえよ!」
「ああ、やっとこの生活から解放されるのね……!」
ヨザックの狙い通り、村人たちは乗り気になってリュカたちを期待の目で見つめてきた。完全に外堀を固められてしまった以上、下手に断れば村人たちに逆上される危険性もなくはない。ルナの身の安全を考えればそうなることは避けねばならない。
「どう転んでも面倒だ……」
はあ、と眉間に皺を寄せつつ溜息を吐くと、リュカは観念して村人たちに呼びかけた。
「親玉とかいうのを討伐するまでの間、宿代と飯代をタダにしろ。それで手を打ってやる」
勝手に巻き込んできた方が悪いのだからこのくらいふっかけても問題ないだろう。むしろ大金を請求しないだけ良心的ですらある。といっても何日かかるか分からないので金額に換算すると結構な額になりそうではあるが。
「お安い御用さ!」
「よしきた!そうと決まれば皆、久しぶりに仕事だよ!あんたは飯の支度、あんたは寝床の掃除!」
村人たちは水を得た魚のように明るい面持ちでそれぞれの持ち場へと去って行った。あれだけ陰鬱だった空気が嘘のようだ。リュカたちが呆気に取られているうちに、人でひしめき合っていた空間はあっという間にがらんどうになった。
「すまねえ、この機会を逃したらきっとこの村は一生救われねんだ。人助けだと思ってここは一つ頼まれてくれんか」
先ほどまでの威勢はどこへやら、ヨザックはしおらしく頭を下げてきた。今の言動の方が本心なのだろう。
「分かっている」
一度引き受けたからには反故にしない。リュカは短く一言だけ返事をすると、踵を返して集会所を後にした。
今日はもう日が落ちるので、リュカたちはひとまず用意された宿へと向かっていた。相変わらずスライムは村中に蔓延っている。ときどきこちらに飛びかかってくるのを剣で弾き飛ばしながら、サクサクと土を踏みしめて歩めを進めていた。
「すみません……私が余計なことを言い出したばっかりに」
ふと、ルナがおずおずとリュカを見上げた。集会所で起こったことを気にしているのか申し訳なさそうな顔をしている。
「気にするな。どのみち魔石の回収に赴く必要があるし、宿代と飯代が浮くと思えばそこまで悪い話ではない」
リュカは目元を緩めた。
「それにうまい飯を食う約束もしたしな。面倒事を片付けてからの方が気兼ねなく食えるだろう?」
そして悪戯っぽく笑みを浮かべてみせれば、ルナの顔はぱあっと花が咲くように綻んだ。
「どうか私も連れて行ってください。せめて言い出しっぺの責任をとらせてほしいので……!」
突然の申し出にリュカは目を見開いた。ルナのことはヨザックにまかせて一人で討伐に行く気満々だったからだ。腰まで伸びた柔らかな茶髪をふわりと揺らして、ルナはリュカの真正面に回った。輝く新緑色の瞳がじっと見つめている。リュカは胸の内が騒がしいような、じわりと焦がされるような、妙な感覚に陥りそうになる。一瞬芽生えたこの感情は何だろうか。知りたいような、知ってはいけないような。余計なことを考える前にと、リュカは無理やり思考を整えると内に湧いた感情を掻き消してしまった。
「分かった。本来なら安全を考えて連れて行くべきではないんだろうが、魔石の回収はルナにしかできないからやむをえん」
ルナ一人なら降りかかるスライムを振り払いながらでも守り切れると、リュカはそう踏んだ。
「良かった!私も治癒魔法で援護しますので、足を引っ張らないように頑張りますね!」
ルナは無邪気に笑うとくるりと前に向き直り、軽快な足取りで先を行き始めた。
「ああ。頼りにしている。だがくれぐれも自分の身を守ることを最優先にしてくれ。いざとなったら俺を置いて逃げてくれても構わんからな」
ルナを半歩後ろから見守りながら、降ってくるスライムを跳ね飛ばすリュカの手には不思議と力がみなぎっていた。