第五話 唯一の信者

 

 

 

 村に戻ると、あれだけ蔓延っていたスライムは綺麗さっぱり姿を消していた。この平穏をもたらしたのがリュカたちの働きによるものだと知れ渡ると、村人たちは次々と感謝の言葉を述べに現れた。皆明るい顔をしていて、集会所で息を潜める生活から解放されたことを心から喜んでいる様子だった。

 

 その晩、村では盛大な宴が開かれた。リュカたちも村を救った英雄として招待され、久しぶりのまともな食事を心ゆくまで堪能した。

 

 どれほどの時が経ったのだろうか、酔い潰れてイビキをかいているか、酩酊しながら上機嫌に他人に絡むか、そんな人間ばかりになってきた頃。

 

「これはこれは、英雄さんじゃあねえか。ご挨拶が遅れちまってすまねえなあ」

「その呼び方はよせ。……ちょっと飲み過ぎじゃないか?」

 

 ヒック、と時折喉を鳴らしながら、ふらつく足取りで現れたのはヨザックだった。彼の呼吸に合わせて酒の香りがぷうんと漂い、リュカは思わず顔を顰めた。

 

「何言ってんだい!こんなときこそ飲まねえでどうすんだっての。ガハハ!」

 

 リュカは料理こそ楽しんだものの、酒だけはどんなに勧められても口にしないと決めていたからシラフのままだった。今は護衛中だから判断力を鈍らせないようにするため、というのは表向きの理由で、ここの村人たちのように酒に呑まれて醜態を晒すようなことになっては一生の恥だから、というのが本当のところだ。

 

「あら、ヨザックさん。ずいぶんお顔が赤いですよ、大丈夫ですか?」

 

 自分は聖職者だからと同じく酒を断り続けていたルナも、当然ながら平常心で、ふらつくヨザックを見て心配そうに駆け寄った。リュカと違って露骨に顔を顰めたりしないあたりはさすが心優しい少女だ。

 

「平気さあ。まだまだ足りねえくらいだ。……おーい、酒持ってこい、酒!」

 

 もう誰が口をつけたかも分からないような飲みかけの酒瓶を手にすると、ヨザックはそれを実に美味そうにゴクゴクと飲み干し、ぷはあと酒臭い息を吐いた。

 

「今じゃみんな笑うけどもさあ、おら信じてるだよ……あの遺跡には神様がいるんだって。死んだじいちゃんが言ってたんだ……うぃっく」

 

 焦点の定まらない瞳で遠くを見据えながら、ヨザックは誰に語るわけでもなく譫語のように呟いた。

 

「あんたらが魔物を退治してくれたおかげで、ようやく掃除に行けるだよ」

 

 屈託なく歯を見せて笑うヨザックに、リュカは俯く他なかった。ルナも何かを察したように言葉を詰まらせている。

 

 神獣は見捨てられたと嘆いていたが、そうではなかったのだ。

 

 もしあの神獣が、ヨザックの存在を知っていたら。こうして信仰を寄せる者が、たった一人でも存在するのだと知っていたら。結末は違っていたかもしれない。

 

 事の顛末を村人たちに説明した際には、あえて神獣のことは黙っていた。やむを得なかったとはいえ、神殺しというのはさすがに糾弾されてもおかしくない。しかしそもそも村人たちの不信仰が招いた結果だ。神無き後に村に良くないことが降りかかったとしても、それは村人たち自身が後始末をつけるべきであって、余計なリスクを背負ってまで説明してやる義理はないと――そうリュカが決めたことだった。

 

「綺麗にしてやんなきゃなあ。神様、よろこんでくれっかな……なんてな。ヒック」

「ああ。きっと喜んでくれるさ」

 

 何も知らない上機嫌なヨザックを前に、リュカは遠い空を見つめながらそれだけ答えた。

 

 たった一人でも信仰心を持つ者がいる限り、いずれこの村に生まれてくる子どもたちが信仰心を取り戻し、村の総意が変わる可能性はある。

 

 そうすればまた神獣は戻ってくるかもしれない。魂は巡り、然るべき時にあるべき場所へと戻る。それがこの世の摂理だと、リュカは思う。

 

「ところであんたら、もうじき、旅立つんらあ?」

 

 呂律の回っていない口をどうにか動かし、夢見心地でヨザックは言った。

 

「んなら気をつけなはれ。こっからシルフィに向かう山道でなあ……最近妙なことが起きれ……ぐう……」

「妙なこととはなんだ。詳しく教えてくれ」

 

 ヨザックはそのまま気持ち良さそうに寝入ろうとするので、そうはさせるかと肩を掴んで軽く揺さぶれば、彼はしぶしぶ続きを喋った。

 

「んあ……かみかくし、って言われてら。人が忽然と消えるって噂さ……ま、あんたら強いから、化け物なら……返り討ちにしてやったらいい……べ……ぐう……」

「神隠し、ですか。用心して行きましょう」

 

 気持ち良さそうに寝始めたヨザックに適当な毛布をかけてやりながら、ルナは怪訝な表情で首を傾げた。そして、徐に自身の懐に仕舞い込んでいた物を取り出すと目を向けた。美しい宝玉の破片だ。今はほとんど光を失っているが、中心部で微かに不気味な輝きが蠢いている。

 

「また魔石が絡んでいないと良いのですが……」

 

 回収した魔石は拳大ほどのかなり大きなものだったが、ルナ曰くそれでもまだ一部に過ぎないという。

 

 神獣をも狂わす絶大な悪しき力。そんな代物が世界中に散らばっているということは、行く先々でさらなる困難に巻き込まれることも覚悟する必要があるだろう。

 

「元気でなー!たまにはおらたちのこと、思い出してくれー!」

「村を救ってくれてありがとう!」

 

 翌朝、リュカたちは村に別れを告げると早々に旅立った。もう少しゆっくりしていけば良いのにと引き留める者もいたが、遠慮しておいた。

 

 シルフィは未だ遠い。いくつの山を越えれば辿り着けるだろうか。せめて青く茂っている木々が枯れ枝にならぬうちに、目的はなるべく早く果たしたいものだ。ルナのためにも、そして、リュカの帰りを待つ者のためにも。